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June 14, 2006

「オプス・デイ」を読む

ダウ゛ィンチコードではカルトチックに描写されていたオプス・デイだが本書を読むと必ずしもそうではないようだ。
これは、本書の著者トゥルノーが現職の司祭であることも大いに影響しているだろう。
そもそも「オプス・デイ」とは、神の仕事という意味で、世界中のあらゆる所で仕事を祈りに変える業だという。
オプス・デイが少なくとも異端ではない根拠として、創立者エスクリバー・デ・バラゲル師が1975年に死去した時に、列福列聖の手続きが始められ、その要望を世界の三分の一の司教が出したことからも伺われる。
それにしても、オプス・デイに対するバチカンの庇護はなかなかのものがあり、要は、従来は、一定の地域単位で教区というものが設けられており、これでは、オプス・デイは到底認められる存在となり得ないことから、第二バチカン公会議の際に、新たな教令が設けられ、種々の社会階層のための特殊の司教活動を行うために、「属人区」を設置するのが有益であると規定された。そして、この「属人区(プレラトゥーラ・ペルソナーリス)」としてオプス・デイが位置づけられたのである。
また、オプス・デイは信徒に限らない幅広い人々の教育のための機関を設けており、わが国でも語学学校(芦屋)や小中学校(長崎)を設置しているそうである。

オプス・デイの特徴は、神の業としての教導を在世の身で行うことである。
その一方で仕事や政治との厳格な分断も行っているようである。
著者は、こう述べている。「もし、オプス・デイのあるメンバーが非常に高い社会的地位や役職を占めていたとしても、それは仕事を聖化しようとする彼らの個人的努力の結果であって、オプス・デイの後押しや他のメンバーの引きではない。」なぜなら引きや後押しのような行為は彼
らの正義に反するからである。

しかし、少なくとも引きに関しては、結果として「聖化」という志を同じにする者の行為だから価値判断が同じだけ評価も高くなるような気がするが・・・。

まぁ、いろいろ非難を浴びるということは、何か問題もあるんだろう。

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