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July 24, 2006

「敵基地攻撃論」の正当性と実効性

額賀防衛庁長官が、「敵基地攻撃論」
について言及したことが物議を醸した。「敵基地攻撃論」自体は、既に昭和31年2月、当時の鳩山内閣が(1)誘導弾攻撃など我が国に対する急迫不正の侵害(2)他に手段がない場合(3)必要最小限度の措置という自衛権の発動要件を満たせば、「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられないとして、必要最小限度で誘導弾等の基地をたたくことは法理的には自衛の範囲に含まれ、可能」との見解を示している。
このことをつきつめて考えてみれば、まず、わが国に明らかにミサイル攻撃が仕掛けられた場合、そのミサイルを迎撃することは自衛範囲であることは当然である。次に、迎撃の範囲はミサイルの弾道のいずれでも差し支えないことも自明である。となると、まさにわが国に向けて発射されんとしているミサイル即ち基地を叩くこともその範囲に含まれることは容易に解釈できる。従って、敵基地攻撃論自体が暴論ではないことは明らかである。
しかしながら、敵基地攻撃論はあくまでも自衛権発動範囲についての技術的解釈に過ぎず、本来わが国が戦後一貫して主張してきた国際協調による平和維持への取り組みが第一であることを忘れてはならない。
日本国憲法前文には、以下のような記述がある。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
 この『全力をあげて(恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する)崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』ということが、安全保障のみならず、国家運営の基本に置かれていなければならない訳である。
 この観点から考えると、必要なのはわが国に対する切迫した危険を避けるためにどうしたよいかということになり、その意味で、北の「軍事訓練」による「ミサイル発射」について、国連決議やサミットにおける話し合いということは極めて有効な手段であったのではないだろうか。敵基地攻撃論の適否を批判しても意味はなく、そのような事態が起こらないように努力することが重要なのである。

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